素戔嗚尊(すさのおのみこと)/牛頭天王(ごずてんのう) (天照大神の弟神)
櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと) (素戔嗚尊の妃)
大巳貴神(おおなむちのかみ)/大国主神(おおくにぬしのかみ)
(素戔嗚尊のご子息/一説には六世の子孫という)
主祭神素戔嗚尊は、高天原から出雲国にくだられてからは、治山治水に力を入れて国造りを進められたので、英雄神として親しまれた神です。
出雲神話で有名な八岐大蛇退治で、櫛稲田姫を助け娶られてから宮造りをして「八雲立つ出雲八重垣つまごみに八重垣つくるその八重垣を」と、聖婚歌をお詠みになりました。
この二柱の神は農耕の豊饒神といわれています。
大巳貴神は素戔嗚尊の娘須勢理姫と婚儀をして大国主命となり、親子二代にわたり国内を巡って国造りに力を入れられた神です。
国を治め、女神の婚姻の世話と、農業の振興と保護、医薬業の普及等でよく知られています。
故に御祭神は、天下泰平、国土安穏、五穀豊穣、夫婦和合、縁結び、厄除けの守護神として、その神徳は広大無辺で洋々としています。
当社の鎮座する北方のまちは、根尾川の流域にあって清らかな流れと美しい自然に育まれ、肥沃な土壌に恵まれました。
先人達はこれを駆使して産業を起し文化を形成して、今日の発展を見たのであります。
しかし、古代の根尾川は西に東に流路を変えて暴れ川となり、ときには人を脅かすような恐ろしい姿となることもありました。
この様なときこそ牛頭天王のご神徳にすがったことでしょう。
水を治める神を祀ったことから、「瀬切る(せきる)」「瀬切(せき)=堰(せき)=堰(い)」「大堰(おおい)=大井」と変わって今の大井神社の社名が出来たものと思われます。
牛頭天王の祠(現大井神社)創祀の年歴は古く明らかではないが、大井神社の由緒によると、永延2年(988)円鏡寺中興の祖良佑上人は、本坊、惣門など総ての堂塔を完成させ、その上16坊の塔頭(たっちゅう)を配して一大寺院を造り上げました。
その時東北の牛頭天王の祠をもって鬼門鎮護としたと記されています。
以来明治初年(1870頃)まで、正月元日、二日、三日は円鏡寺の院家が寺僧や住民を率いて牛頭天王の祠に詣で、魔詞般若経を声高らかに読誦し、天下泰平、国土安穏、五穀豊穣を祈願しました。
人々はその声の遠い近いによりその年の作柄を占ったといいます。
また院家は大井神社ご神殿の鍵を預かり御例祭の時には院家がご神殿の扉を開けなければ、祭が始まらなかったと言われています。
このように、大井神社と円鏡寺そして地域の氏子達は、千年もまえから深く関わっていて、「お天王さま、お天王さま」といって、親近感を寄せています。
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